ハワイ島の車からは安全と余裕とモラルの高さを感じました~2018年6月ハワイ島旅行記1日目e

余裕のある運転

車の運転と土地文化はどこかでつながっていると感じている岩見です、ごきげんよう。

2018年6月のハワイ旅行初日(まだ初日の午後なのに4記事目です!)
暑い思いをしながらショッピングモールとホテルを往復する時に車の通る道をわたりました。

この時に感じたのは私も車を運転している人もとても余裕があるということです。

車を運転する人のモラルの高さ、車が持つ役割や危険性を熟知してちゃんと扱っている。
そんなリテラシーの高さを感じたのです。

私はここ数年、海外を旅する機会に恵まれました。

中国(上海、青島、北京、西安、武当山、他いろいろ)
ベトナム(ニャチャン)
ハワイ(オアフ、マウイ、カウアイ)
オーストラリア(シドニー、ケアンズ、ポートダグラス)
グアムなど
これらの国々の中で「ハワイ島って一番安心して道をわたれるのでは?」と感じました。

日本も含めてそれぞれの国や地域における運転事情というものがあるため、運転の良し悪し言うつもりはありませんが「ここまで違うのかあ」と思ったことも事実です。

今回はハワイ島で感じた車の運転モラルの高さや安全性についてです。
楽しいなかにも考えさせられました。

なお、ここで書くことはあくまで私見です。わたしが感じたことを述べたものです。
統計的なものではなく「肌で感じたもの」という内容であることをご了承ください。

目次

ハワイ島で感じた車社会のモラルの高さ

ハワイ島到着当日、ホテルから出てキングス・ショップスとクイーンズマーケットプレイスを往復しました。

全て徒歩での移動ですので車が走る道路を数回横断します。

この時に車の走る様子や横断する際の動きを観察していると、日本とは明らかに雰囲気が違いました。

一言でいうならモラルの高さです。

車の走る様子が落ち着いていました。
スピードが速い、遅いというのではありません。
車を車として扱っているのを感じます。

歩行者が見えたらスピードをゆるめ、歩行者から離れた場所で止まる。
このとき車と歩行者の距離が「遠い」。

とても当たり前のように聞こえるかもしれませんが、実際に目の当たりにすると日本との大きな差を感じます。

車との距離が遠いので圧迫感がなく、余裕を持って道路を横断できる安心感がありました。

心に余裕ができる

本当にすっごい離れた場所で止まるんです。
普通の横断歩道でも5メートルくらいは離れていますし
場合によっては10メートル以上離れて止まります。

あまりに離れて止まるからなにかあったのではないか、車に故障でも起きたのかと疑問に思いました。

ちょっと考えた後にどうやらわたしが道路をわたるのを待っているのだと気づき、慌てて横断歩道をダッシュでわたりました。

このように歩行者であるはずのわたしが慌てたり驚いたりするほどの距離、というか余裕のある状況でした。

東京では車が「歩行者から離れた場所で止まる」というシーンは少なく感じます。

歩行者の近くまでゆっくり運転(徐行)していくことがほとんどのため、車が止まらないのです。

そして歩行者の尻をかすめるような距離ですれ違います。
ぶつからないのでいいのですが、ぶつかりさえしなければいいというものでもありません。

いつでも急発進することのできる車が止まる気配もなくノロノロと近づいてくると、どうしても圧迫感を感じます。
わたしはその圧迫感があまり好みではありません。

ハワイも日本も横断歩道の手前にある車の停止線の位置は大きく変わりません。

そのため車が「止まっている」のか「止まる気がないのか」といった違いは歩行者にとっての安心感や圧迫感に大きな違いをもたらします。

ハワイ島では車が止まることをはじめとして交通弱者である歩行者を優先するというルールが一貫して守られているのを感じました。

車と距離感

車同士の運転にも余裕を感じる

車同士の関係性も良好です。
車間距離が開いていて余裕を感じます。

運転に「雑な印象」を受けません。
クラクションの音を聞いた記憶がありません。
(1~2回はきいたかもしれませんし、夜間の街中は別かもしれませんが)

基本的に安全性を考慮した走りをしていました。

モラルの高さといっていいのか
それとも車が持つ性能を理解し、車に関連する順法(遵法)精神によるリテラシーの高さによるものなのか
どう表現したらよいのかわかりませんが、おそらくはその両方だと感じます。

車を道具として見るか身体の延長として扱うか

日本人にとって車は仕事で使うための道具であると同時に身体の延長のように考えている節があるように思えます。

これはこれで良いことですが、歩行者と車では重量も大きさも圧倒的に違います。

人間がちょっと早く動くということと
車が人間より少し早く動くということは危険性が全く異なってきます。

そのあたりの危険性をあいまいにして車を扱えば、安全性が確保されない状況が生まれてくるでしょう。

ハワイ島では車は便利ではあるが危険性も併せ持っている道具のひとつであり、それをあつかう運転手がどのようにふるまうことが社会的に正しいのかという雰囲気を自然に出しているように感じました。

(少なくても身体の延長として扱っているようには見えませんでした。)

こうした考え方や感じ方をしたのは、ひょっとしたら私が長いこと中国拳法をはじめとした武術の世界にいたからかも知れません。

あるいは心や認知への学びから世界と自分との関わり方に良い形で線引きが進んでいるからかも知れません。

いずれにしても、車を道具として扱う知識があり実践する技術もある。
そして性能や状況に振り回されない自制心がある。

それがリテラシーの高さとなって余裕と安全に繋がっているのだと感じました。

おかげで日本にいるよりずっと安心して車というものを見る事が出来ました。

私見~車の安全性とカッコよさ

ハワイ島での交通事情観察。
モラルあるいはリテラシ―の高さを実感する良い機会になりました。

こうして安心して車というものが見えると
車が持つ格好の良さ
曲線美、効率性
それらを操る人間性というものに目が向きました。

わたしは今まで、車は移動の効率化や時間短縮のためのものという無味乾燥な目的でしか見ていませんでした。

それに比べるとずいぶん大きな変化です。

いつか自分の車が必要になった時は今回のハワイでの一幕から感じたことを思い出しながら車を買い、そしてそれに相応しいモラルで運転していこうなんて考えました。

車の格好よさを感じた

また、つくづく思ったのが観光地としての安全性の大切さです。

これだけ車と歩行者の関係に余裕があるのなら、歩く早さがゆっくりなお年寄りでも安心して外に出ることもできると思うのです。

安心して外を歩けるということは旅行者にとってはとても大きな魅力のひとつでもあると感じました。

心も道も広く大きく

車の運転やそれを取り巻く法律、交通事情、歩行者や交通弱者との関係性は、その国々が持つ国民性と文化に反映されてるとわたしは思っています。

そのうえで振り返ってみてもハワイ島の運転は穏やかで確かな安全を感じました。

車がどのようなものとして社会に認識されて利用され、扱われているのか。

車を通して自分と社会との関わり方をあらためて感じ、考えていました。

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