創造と工夫、心に明かりを
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中年会社員武術家JunoIwami
東京生まれ東京育ち
中国拳法の一つである「形意拳(けいいけん)」を主に練習する会社員です。
東京都北区にて「正宝内家拳研究会」を主宰し、形意拳を始め、日々の生活に役立つ体の使い方や練習方法について知恵を絞っています。
私の望みと武術
このブログの冒頭と末文には私の望みを掲げています。
・創造と工夫、心に明かりを
・立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す
これを実践し、日々のなかで「真っ直ぐに前を向いて歩いていく」
そのために自分に何が出来るのかを探し追求しています。
多忙と疲弊にくじけそうになる現代生活の中で
その心を強く持ち、健康に、しなやかに生きていく。
そんな当り前の、誰もが持つ望みを私も抱いています。
ですがその取り組みは一人ではできません。
様々な人たちの協力が必要です。
愛すべき人たちとかかわりながら、様々な教えに耳を傾け、心に明かりを灯していきたい。
時に疲れて歩みを止めてしまっても、時に倒れてしまっても、また起き上がり歩いていく。
武術を通して体を鍛え、精神を修養することで、そんな生き方を全うする事が私の望みです。
JunoIwamiのブログが目指すもの
武術を通して学んできたことは多岐にわたります。
このブログでは、私の経験した事や知識等を述べていきます。
一つ一つは小さな事でも、かつて自分が通った道が、未来の自分に、そしてどこかの誰かの役に立つことがあれば、それがまさに目指すものであり、望外の喜びです。
私は専門の武術家ではありません。
只の愛好者です。
そんな愛好者が、働きながら趣味として武術を続け、小さいとはいえ一つの団体を運営するに至りました。
二つのわらじをはきながらどうやって生活し、管理し、苦悩し、それを乗り切ろうと足掻いているか
スマートでなくても、不格好でも、そんな一人の会社員武術家の実態が、誰かの感情を呼び起こす事が出来れば良いと思っています。
まだまだ未熟ではありますが、今後もお付き合いのほどよろしくお願いします。
JunoIwamiの足跡
◆現在
東京都北区にて「正宝内家拳研究会」を運営中
形意拳をはじめとして、歩き方や立ち方などの体の使い方や健康維持に向けて知恵を振り絞る。
正宝内家拳研究会では
・無理せず日常に練習方法を溶け込ませる
・多人数相手にも負けない
・全力で殴れる信頼関係を築く
こうしたコンセプトの元、形意拳を中心に練習を行っています。
2014年(40歳)
1月 2013年12月から引き続き中国の武当山に滞在。武当玄武拳を習う。
5月 世田谷区武術太極拳競技大会出場 伝統拳の部 4位 前回の雪辱を晴らす
7月 第31回全日本武術太極拳選手権大会出場 伝統拳の部 14位
12月 第26回武当拳法協会 表演会に参加 形意拳の型「雑式捶」を演武。
2013年(39歳)
1月
・2012年12月から引き続き中国上海にて李尊師老師の心意六合拳を習う。
・第24回武当拳法協会表演会に参加 形意拳の型である「雑式捶」を行う。
5月 第11回世田谷区武術太極拳競技大会 伝統拳の部 最下位
外部の演武会に初参加。あまりの成績に愕然とする。
7月
・第30回全日本武術太極拳選手権大会出場 伝統拳の部 16位
・ブログ「JunoIwami」立ち上げ
ブログの立ち上げには「jMatsuzaki」(jMatsuzaki主宰)、「日浦晴子」(sun sun sunny主宰)のお二人に強力な助力をいただく。多大なる感謝を
12月
・第25回武当拳法協会表演会参加 形意拳の型である「雑式捶」を行う。
・中国の武当山へ武当玄武拳を習いにいく。
2011年(37歳)
8月 正宝内家拳研究会の会則を設定する。
2010年(36歳)
12月 馮正宝老師 引退
「正宝内家拳研究会」の代表者として引き継ぐ。
****年
・心意六合拳に出会う。稽古を開始する。
・交通事故に遭う(自転車 VS ミキサー車)。右足の内側側副靭帯を損傷。リハビリの末に復帰。
・多人数対一人に特化する武術を目指し始める。
1999年(25歳)
1月 「正宝内家拳研究会」設立
引き続き馮正宝老師に教えを請う。
**歳
・陳式太極拳に出会う。稽古を開始する。
1997年(23歳)
馮正宝老師に出会う。形意拳の稽古を開始。
1994年(20歳)
中国拳法に出会う。
全日本中国拳法に見学に行った際、会長夫人に「チョイと押されて吹っ飛ぶ」事を経験。
その場で入門
・拳法の種類は査拳を選択した。
18歳~20歳
大学にて少林寺拳法に出会う。
体を鍛える喜びを知り、人とのかかわり合いを前提とした教義に惚れる。
暴力手段でしかない筈の武術に「徳」を見る。
(18歳以前)
読書とゲームと音楽鑑賞が趣味の「完全なるスーパーインドア派人間」
あるきっかけが発端となり、武術を志す。
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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す 岩見より