気づきと驚きに活力と笑顔が戻る〜「正宝内家拳研究会」2020年10月中国拳法活動記録
武術を起点に心身を整え鍛えたいと願う会社員武術家の岩見です、ごきげんよう。
今回はわたしが主宰する中国拳法の教室「正宝内家拳研究会(せいほう・ないかけん・けんきゅうかい)」の2020年10月の活動を振り返っていきます。
立ち方の大切さ
内臓の位置調整
心を穏やかにしてからの稽古することの重要性
深緑の森での突発演武
いつもと同じように見えてどこまでも一回限りの稽古を楽しみながらやりました。
自分自身への気づきと新鮮な驚きと共に活力と笑顔が戻る稽古となっていたらいいな、と思ってます。
目次
正宝内家拳研究会〜2020年10月活動記録
立ち方の大切さ〜本当のグラウンディングに至る稽古
10月5日 立ち方の大切さ
どんな武術にも「構え」があります。
もちろん構えは大切だけど、もう少し遡ってみると「立ち方」という話になります。
ただ立てばいいわけではありません。
大地につながる「グラウンディング」という考え方を深く理解して体現することが大切です。
立った時にどんな感覚になっているか
その感覚は正しいか
その立ち方を再現するにはどうすれば良いか
腰をゆるませ、沈み、落とす。
その感覚を稽古で繰り返し、自分の感覚として養っていきます。
緊張と弛緩を繰り返しながら、少しずつ体の力みを抜いていきます。
これ以上力を抜いたら倒れてしまう!と思っても実際倒れることはありません。
全身の力、特に腰の力みを抜くことで深く大地につながり、力が戻ってきます。
え、かかとが痛い?
それならかかとがまだ緊張しているかもしれませんね。そこも力みをとりましょう。
時には寝たり座ったりしながら腰の力が程よく抜けるところを探し、程よく力が抜けた感覚を保ちながら立ち上がることもやってみる。
そこまでやった後で行う立つ、歩く、構えるは今までとは随分違う感覚となります。
わたしが教えている形意拳の基本の構えは「三体式(さんたいしき)」と言います。
「天」と「地」と「人」
この3つで三体
人は天と地の接続点(アース)のようなものと考えると取り組みやすいです。
人の身だけで一生懸命立とうとするのではなくて
天と地をつなぐ接続点のようにする。
もしも接続点が凝り固まっていたら天と地が結びつくことは難しいでしょう。
自然に力を抜いた状態をつくる。
天から落ちる重力が足裏を通って大地の奥深くに届くように
大地から湧き上がる力が背骨を通って頭頂部から天に昇るように
それを邪魔せずに届けるのが人の立ち位置
天がわからず、地につながらなくでも
人としての立ち方を学ぶことで天と地に至る可能性が出きます。
日々の稽古は地味な取り組みと気づきの連続です。
自分を感じて、発見をして
自分への驚きと笑顔を取り戻して帰宅する。
そうした疲れるどころか活力を取り戻せる取り組みです。
内臓の位置調整と股関節の動き
10月12日 内臓の位置調整と股関節の動き
武術に限ったことではなく、あらゆるスポーツや日常生活において股関節を柔らかく使えることの恩恵は大きいものです。
しかし現代社会においては顧みられることが少なく、上手く使えない人も多いです。
そこで股関節を扱うやり方として「内臓の位置調整」を行いました。
ん?なんで股関節なのに内臓位置の調整なの?と思っている人のために少し説明します。
普段二足歩行で生活しているわたしたちの内臓は重力の影響で下に下がり気味です。
腹筋が弱い人はさらに前に出ている可能性さえあります。
座り仕事が多い人はもっと条件が厳しくなります。
そんな下がった内臓がもう下がらないという場所が骨盤や股関節です。
本当は股関節を自由に動かしたいのに、内臓やらなんやらが邪魔で動きが阻害されていることも実は多い。
そうした状況を改善するため腹腔部の内臓を自然な位置に戻してから稽古をやりました。
やってみた結果、股関節の可動域は広がり、腰が軽くなり、動きも柔らかくなります。
顎が前に出るクセも治ってきます。内臓が収まることで体前面が下に引っ張られる力が軽減されるため、首が前に出ない状態になるのです。
老若男女、痩せ型太っちょ関係なく効果があるかもしれません。
もちろん、ある程度の個人差もあるので絶対とは言いませんが効果的でした。
あ、普通に武術の稽古もしてますよ。
全身を使って。
ポカポカするし息も上がる。
それでいいのです。全身運動なのですから。
内臓は健康の要です。
整ってないと稽古も日常生活も元気に過ごせません。
いつも頑張ってくれている自身の身体を整えて、活力のある日々を過ごすことにつながる稽古でした。
森の中の演武体験
10月19日 森の中での演武はただただ気持ちよかった
この日は稽古はお休みで、友人たちと長野の山の中にいました。
「演武やって」と突然のリクエストを受け、驚きながらもやってみる。
深緑の森で体を動かすと
とても気持ち良く、なんとも体が「馴染む」
森が生む濃い空気が体を包み、心を満たしました。
大地と森と苔の緑。
そこにあるのは静寂。
なにもないけど全てがありました
またここに来たい。
ここで合宿もしたい。
ついでにもう一度、衣装を整えて撮影したい。
次への楽しみが増えた森の中の演武体験でした。
腕の連動と心の動き
10月26日 腕の連動と心の動き
腕を効率的効果的に使うと日常も武術の稽古もとても楽になります。
肩まわりがスッキリと楽になることも日常生活での大きなメリットと言えるでしょう。
腕は意外と重いパーツです。それを胴体で支えることなく筋力だけで使うとあっという間に疲れます。
まずは肩甲骨を中心に動かすストレッチにより「腕」という部分(パーツ)が胴体部とつながっていると意識化します。
胴体の支えがあることを意識化したあとに腕の扱い方をいくつかやる中で「軽やかに動かせる」ポイントを見つけていきます。
無自覚に扱っているとわかりませんが、太極拳のようにゆっくりと丁寧に動かすことで実感として「ここ」と感じる部分や範囲がわかってきます。
あとはそれを活かしたり、稽古の中で軽やかに動かせる範囲を広げていきます。
武術面でも腕の扱いが上手になることは多くの利点をもたらします。
わたしがやっている形意拳は相手の動きがどうあろうとも「突き込む」ことが特徴の一つです。
例え相手が
攻めて来ようと
防御しようと
距離を詰めようと
後ろに退こうと
斜めに捌こうと
どうしようと
交差法(カウンター)で拳を叩き込みます。
そのため相手に弾かれずに突き込むことのできる腕を作り、それをいつでも何度でも繰り出せることがとても大切なのです。
誰が言い始めたか知りませんが「殴るの大好き形意拳」というキャッチフレーズは、あながち間違いではないでしょう。
もし腕や体の使い方がひとりでの型稽古でわかりにくい場合は「対打」という二人一組でやる稽古で確認すると効果的です。
例えば相手にわたしの胴体を突いてきてもらい、それを上から押さえるというシンプルな動きがあります。
写真ではわたしは軽く腕を出しているだけですが、相手は痛みを感じ、体制も崩れます。
体と共に扱っていきたいのは心の領域です。
特に武術では所謂(いわゆる)「平常心」のようなものが必要です。
それは戦う時だけでなく、生活の中や稽古であっても同じことです。
心の中に凪(なぎ)のような無風状態を作り出すこと。
その人自身が持つ固有のリズムを感じる練習。
たとえ周りが嵐でも、自分の内まで巻き込まれない。
そんな心地の良い、居場所を感じる状態から稽古を始めていきます。
特に前述した長野から帰ってきたあとはこの「その人自身が持つ固有のリズム」の重要度がグッとあがりました。
体を整え、心を鎮め、そして稽古に臨みます。
基本と突き技となる五行拳は足裏から頭頂部、指先まで意識を保ったまま動いていきます。
土台となる足腰の強さと柔軟性を少しずつ養い発揮するのには時間がかかります。
それができない動きは、ただの「楽な動き」でクセの塊です。
「気持ちの良い動き」は活力と流れを感じます。
自分の動きがただのクセなのか、活力を生むものなのか、その違いを少しずつすり合わせていきます。
地味です。
地味だけど、少しずつやれることを楽しみながらやっていく。
体が動き、心も軽くなる。そんな稽古を続けていきたい。
推手(すいしゅ)を六段階に分けたい
最近、「推手を六段階に分けたい」という欲求があります。
推手は太極拳の稽古のひとつです。
二人一組で立ち、相手と手を触れさせた状態で円を描くように力を感じていきます。
この推手を心の学びや感性論哲学を軸にして考えていくと、人の可能性を穏やかに開発してくれる手段になると感じてきました。
武術色の濃い技撃訓練として三段階、人間の交流交感能力を開発する感応訓練として三段階の合わせて六段階。
段階的に設定して目的を明確にすることで良いことがありそうと思っています。
身体感覚を養うことで発生する皮膚の感覚、腹の充実感、腰のゆるみ大地への真っ直ぐな立ち位置を感じ、安心感を持って人や世界と響き合う。
推手にはそうした可能性があると感じているのです。
まとめ
いつもと同じように見えてどこまでも一回限りの稽古を楽しみながらやることができました。
共通しているのは自分が持っている可能性をゆっくりと着実に見つけていくこと。
「その人の希望はその人の内側にすでに存在している」
この考え方からくる稽古はこれからも変わることはないでしょう。
自分自身への気づきと新鮮な驚きと共に活力と笑顔が戻る稽古にしていきたいと日々活動を続けています。
<関連リンクです>
・命が真っ直ぐに伸びていくように〜中国拳法の教室「正宝内家拳研究会」活動記録2020年8月