稽古で互いを高めたい!そういう時にこそ共有しておきたい「全力で殴ることのできる」信頼関係

創造と工夫、心に明かりを
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さて、
稽古をする際、一緒に稽古をする仲間はかけがえのない存在です
何故なら稽古仲間は、互いに刺激を与え、自分を映す鏡にもなる
最も近くにいるアドバイザーだからです。

その仲間がいるという稽古環境の最大メリット
それは「互いを高めあうことで、自分の成長に拍車がかかる」という事です
相手の実力につられて、自分もそれに応じ、
それを繰り返すうちにいつの間にか互いに上達していたという状況です。

ここでは、自分だけでなく、相手だけでなく
自分と相手、互いを同時に高め合う上で必要な認識について話をしたいと思います。

目次

たった一つの認識が稽古の質を変えた

もし私が、この「互いを高める」事について一番実感した練習方法は何?と聞かれたら
約束組手(攻守の順番を決めた組手)でやった一つのルールと答えます
そのルールは下の一行です

「相手が本気で打ってくるから、こっちも死ぬ気でよける」

以上、たったこれだけです。
これを互いに出来るだけ高いレベルでやります。

もう、本当にこれだけです。
相手は顔面なら顔面へ、ボディならボディへ
まっすぐ、最速で、最短の距離を容赦なく打ってきますので

こちらはその拳を紙一重で避けて、カウンターを叩き込みます。
(時々避け損ねて、頬骨あたりに「ガシュッ!」と衝撃が走りますが無視します)
そして相手は、それさえも捌いてまた私に攻撃を繰り出す…この繰り返しです

手順と回数を決めて、その間は集中力マックスでやります。
あまりに集中力を使うので、それほど長いやり取りはできません。
しかしその濃密さと緊張感は
一人で延々とやり続ける稽古とは全く別次元の成長曲線を感じました。

「全力で殴る事の出来る」信頼関係

重要なのは、相手との信頼関係です。
相手は、顔の手前で勝手に拳を止めてくれない
顔の遥か横を打つような真似もしてくれない
これが前提です

見方を変えれば、「必ず顔面をブチ抜くように打ち込んでくる」
容赦なき全力の一撃が放たれることが確定されているのです。

ですから、こちらはその一撃を信用するのです。
必ず打ってくるのだから、それを見切ってかわし、反撃を打ち込む
この一連の動きを「俺達なら出来る!!」という
信頼関係を互いに認識すること
十分な実力を出して稽古するために重要だったのです。
このことに気づいたとき、私の稽古の質は劇的に変化しました。

攻撃に全神経を集中させること、つまり
「本気でやる、本気で殴る」
実はこれ、普通は出来ないのです。相手に怪我をさせたくないから。
だから相手の顔の手前で止めたり、顔の横を打ったりするのです。
ですが、それを自分が持つ最大の集中力をもって「怪我をさせたくないという恐怖」を抑え込み、
相手に向かって真っすぐに、顔の真ん中のさらに向こうまで突き抜けるように、
僅かなブレもなく繰り出すのです。
その集中力と精密さは、攻撃の際の躊躇のない、流れるような動きを私にもたらしてくれました

反撃と防御に全神経を集中させること、つまり
「本気で避ける、本気でかわす」
実はこれ、やっていないのです。
相手が勝手に拳を止めてくれるから。勝手に顔の横を突いてくれるから。
だからどこかで「まあ、本気で避けなくてもいいだろう」という考えが頭に残ってしまうのです。
ですが、今回の相手は違います。顔面の中央を、打ち抜いてきます。
だから自分の最大集中力をもって、僅かな動きでかわして反撃するしかないのです!
この時の集中力と忍耐力は、防御の際の迷いなき判断力と反撃への一手を私にもたらしてくれました

このように、互いに信頼する全力の約束組手は、
相手に怪我をさせずに、かつ相手と自分を同時に高めることのできる
とても重要な稽古法
だったのです。
そしてそれを可能にするには、かけがえのない稽古仲間との信頼関係が必要なのです。

だから、私たちは互いを高め合う

私たちは上達を望みます
ですから私は今でも、殊更顔面には丁寧に、真っ直ぐ、真ん中を打ち抜いています。
そうすると相手も、こちらの本気を汲んでくれます。
相手は私を映す鏡です。
汲んでくれた本気を、相手はカウンターで返し、また私もそれに応える…

静かな、そして情熱的な互いの「本気の攻防」を今日も繰り広げながら
私たちは皆で高め合うのです。

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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す  岩見より

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