稽古を諦めそうになった時に、心を奮い立たせた言葉
創造と工夫、心に明かりを
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さて、
「止めることなら、いつでもできる」
この言葉は随分昔に聞いた言葉であり、私がよく引用する言葉の一つです。
ただ漠然と聞くと、とてもネガティブな発言か、さもなければ開き直りに受け取られます。
しかしこの言葉を言った柔道選手は、逆の意味で、真摯な意味で言っていました。
この言葉には表に出ない続きがあるのです。
「止めることなら、いつでもできる
(だから、それまでは精一杯やり遂げる)」
少なくても私にはそう聞こえました。ひょっとしたら実際に言っていたのかもしれません。
これを聞いた時の衝撃は強烈でした。
目次
諦めが積み重なってた時期
この言葉を聞く前の私は、稽古をしても前へ進めず、自分の上達具合も把握できない状態でした。
同じところを繰り返し、同じようにミスをする。
要求事項は満たされず、ただ徒に使っていく時間と報われない労力に諦めに似た気持ちが心に積み重なっていました。
インタビューの放映にて
「止めることなら、いつでもできる」
オリンピックに出る柔道選手の言葉とは思えないこの言葉は
そんな時期に聞こえた言葉です。
驚くと同時に、その裏にある、口に出さない真摯さに心が震えました。
重荷は捨てきれないけれど
「だったら、やめるときまでは進んでいこう!」
選手ならぬ一般人の私は、そう心で叫ぶのです。
その瞬間から、諦めという重荷は随分と軽くなりました。
後ろに引きずっていた余計な荷物をうまく切り落とせた感じでした。
重荷そのものはゼロにはなりません
その重荷は私が取り組んできた結果なのですから。
ですが、一時的にこの負荷が軽減されれば、
痺れて動きにくくなっていた手足と心に活を入れることが出来ます。
もう一度歩き始めるための力をくれます。
この言葉は、私にとってはそうした「力の言葉」なのです。
今でも辛い時や行き詰まる時は沢山あります
それは、ひょっとしたら脳が過剰負荷に悲鳴を上げているのかもしれません
そんな時、一度立ち止まって、私は口に出します
「そうだよな、いつでも止められるんだしな」と
そして続きも口に出します
「だからさ、もうちょっと行ってみようぜ。なんか見えるかもしれないし」
ただそれだけの話ですが、
足取りと心は軽くなり、また稽古に励むことができます
止めるときがいつになるのかは分かりません
でも、それまでは、こうして心の重荷の整理をしながら
一歩ずつ進んでいければと思います。
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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す 岩見より