指導者も一人の修行者
創造と工夫、心に明かりを
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さて、
小さいとはいえ教室を受け持って、指導者としての面を見せている私ですが、
他の方、特に教室に来ていただいている人から見ると、どう映るのでしょうか?
技術の悉くを習得し、無敵を誇る武道家でしょうか
稽古の内容を瞬時に理解し、最適解を提示するコーチングの天才でしょうか
いろいろな見方があると思いますが
こうして教室の代表として、指導者としての立ち位置で振り返りますと
「意外に皆と変わらない」
という事に気づきます。
つまるところ、立場は変わっても、一修行者であることに変わりはない、という事です。
何と言いますか、こう、期待してしまうのです。
先生という人物像に、指導者という役割に
「この人なら、この人なら何とかしてくれる」そんな根拠のない期待が
そういう認識を取り払うと、不思議なことに
先生や指導者だと、勝手に雲の上の人だと思い込んでいた人達が
とても近くに感じます。
過分に過ぎると、少しだけ重荷に思っていた指導者としての役割も
すんなりと受け入れられます。
指導しているように見えて、実は一番良い席で勉強させてもらっている
身に着けた技術や経験を切り売りしているのではなく
それらを提示しながら、皆と一緒に、日々の稽古に励んでいく。
先生たちも、そう思いながら、リアルタイムであれだけの実力を示していたのかと
そんな風に思うのです。
これからも、悩みながら、でも笑いながら
一修行者として稽古に励んでいきたいものです。
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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す 岩見より