剣とペンの相乗効果!~中年会社員武術家による「ペンは剣よりも強し」の前提条件体験談

創造と工夫、心に明かりを
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さて、
中年会社員Junoiwamiが武術をやっているというと「『ペンは剣よりも強し』というから武術など無意味だ」という話になる事があります。
仰りたいことは分かりますが、ペンは剣よりも強しを実践するためにも武術は必要と考えます。

相反するこの二つの存在をつなぐ架け橋、「時間と安全を確保するための『武』」を得たとき。口先だけの平和論者から、大切なものを守る力を持つ人間としてようやく歩き始めたという気がします。

●1. 歴史は証明している
●2. 時間と安全があって「ペン」は効力を発揮する

かつての私は無力でした。

<<ペンを剣より強くする前提条件は?>>

そもそも「ペンは剣よりも強し」という言葉は平和的なあり方を表すのにとても有効な言葉です。
だからこそ無条件でこの言葉を肯定します。

一度肯定してしまうと、そこから深い考えをしなくなります。なぜ?どうして?どうやればペンが剣を凌駕出来るのか?

●1. 歴史は証明している

どんな強大な武力であっても、言葉や法律といった非暴力の影響には膝を屈している。歴史がそれを証明している。

そうなのです、証明しているのです。非暴力が武力を打ち破った結果を!素晴らしい事です。
ですが、その歴史書のもうひと段落下の項目を読んでください。その結果をもたらすために払われた多大な犠牲についての項目が、どこかにあるはずです。

勝利を手に入れるまでに失った尊厳、加えられる暴力とあふれる悲痛、二度と戻ってくることのない大事な時間、そして命。…歴史は証明しているのです。

私は、耳に心地よい勝利という結果のみを鵜呑みにして、打ち破った結果の影にある無数の犠牲者とかけられた膨大な時間を無視していました。

●2. 時間と安全があって「ペン」は効力を発揮する

私は勝利をもたらす影となる部分に、自分自身や自分が大事と思う人が入ってしまう事が怖いという思いがあります。ですが私はあまりに時間に無頓着であり、犠牲に対しては「他人事」として目をそらしていました。

だから私は見失っていたのです。「私」の「今」は「ここ」にしかないのに、「ペンの力」はこれらを守るためにはあまりに時間がかかり過ぎるという事を

仮に私の書いたメッセージが武力に対して有効に働くようになるためにはどの様な工程を経るのでしょうか?

届けるべき相手に向けてメッセージを作る時間、相手に届ける方法と時間、読まれる時間、検討する時間、対処する時間…そして!結果の出る時間

「ペンの効果」が発揮されるまではこんなにも時間と工程が必要なのです。
その間、私からは何が奪われ続けていくのでしょう…

<<ペンと剣を両手に持って>>

一般的に認識されている「ペンは剣よりも強し」の意味を考えたとき「ペンが効果を発揮し、自分がその恩恵を受け取る」ためには身の安全と時間の確保を最優先する必要があります

そのためには例え僅かでも時間を稼ぎ、たとえ傷ついても尊厳を守るだけの安全を確保する手段を手に入れなければならず、およそ個人で取り組める範囲において最も早く即応性のあるものは「武」意外に在り得ません

平和を望むどこにでもいる人間が理不尽な事柄に対処するためにも「ペンの力」は必要です。
今の私は「ペンの力」を把握しつつ、身の安全を確保するための「武」という手段を得ました。

幸いにも現在「ペンの力」をすぐに行使する状況にはありません。しかし私は平和な日常を望み、これを維持するためにも「武」の即応性は必要であると確信し、稽古に打ち込んでいるのです。

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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す  岩見より

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