フリーマーケットで見つけた手作りの布製ブックカバーからみる個人制作だからこそできるこだわりに、わたしは良さを感じました
本屋で本を買うときは紙のブックカバーをつけてもらう派の岩見です、ごきげんよう。
そんなわたしが偶然通りかかったフリーマーケットで手作りの布製ブックカバーを買いました。
お店の人に話を聞くととても強い熱意を感じました。
個人の手作りだからこそ現れるこだわりとクリエイティビティ。
そこにわたしは『良さ』を感じました。
まさにオンリーワン。
熱意と情熱と技術が、使う側の希望にかなう。
そんな瞬間。
やっぱり私はこうした「とがった」人や技術が好きなのだとあらためて思いました。
目次
こだわり1ー特徴的な柄と模様で作り上げる
ブックカバーのこだわりのひとつめは、柄が特徴的なことです。
今回買った3つのブックカバーを紹介しながら説明しましょう。
緑色の招き猫が可愛いブックカバー
紫色に侘び寂び(わびさび)を感じるシックなブックカバー
「道」の字が映えるブックカバー
この「道」と書かれているカバー。わたしは見たことがありません。
本にかぶせると「道」の文字が「いい感じの位置」に来ます。
制作者のこだわりや意図がデザインなどに現れる反面、どうしても一つの布で作られる数に限界があります。
つまり歩留まりが悪いのです。
工業製品であれば歩留まり重視で無難なものを作り続けることが出来ます。
しかし、そうしたことはやりたくなかったようです。
「この文字をこの位置に持ってきたかったんですよね」と言っていた制作者の誇らしげな顔が印象に残っています。
他にも2種類かの文字の柄があったそうですがそれらはすぐに売り切れたそうです。
好みもあるので人を選ぶ柄かも知れませんが、それだからこそ「これいいな!」と手に取る私のような人もいるわけです。
こだわり2ー芯材を使ったしっかりした作り
ブックカバーのこだわりのふたつめは芯材の使用によるしっかりとした作りです、
このブックカバーには裏地もあります。普通は見かけません。
さらに加えて裏地と表地の間には芯材を挟んでいるのです。
この三層構造のおかげで作りがしっかりしています。
ページ数の少ない本にかぶせても「ヘニャッ」とならないための工夫だそうです。
このブックカバーは本の厚さによって長さを調整するパーツがない「長さが固定されたタイプ」のブックカバーです。
厚さ調整パーツを作ろうとした場合、どうしても作業数が増えるうえに「必要性」の面で納得がいかなかったそうです。
「長さが固定されてもしっかりとした作りのものを提供する」という方針をとったとのこと、その割り切りの良さがスゴイです。
実際に手持ちの文庫本を入れても、確かにヘニャッとなりませんでした。
最大500ページちょっとまで入るとのことです。
制作者として何を選び、どんな人に何を提供するか?
意図と、そこに込められた技術やアイデアが総動員されていると感じました。
工業製品では男女共用という狙いとコストカットの面から、芯材はなくなっていたかもしれません。
「…まあ、芯材と裏地で硬くなってしまった分、女性が扱うには不向きかも知れませんね」と笑いながら、ちゃんと客層をイメージしている姿勢が好印象でした。
こだわり3ー隙間が少ないタイトさがフィット感を生む
ブックカバーのこだわりのみっつめは縫い目と本の間にある隙間の少なさです。
布製のブックカバーは縫い目があります。この縫い目と本の間にどうしても一定の隙間ができます。
この隙間が手持ちの既製品と比べて少なかったのです。
今回買った布製ブックカバーは、隙間が4mm程度に対して、手持ちの既製品では10mmほどになります。
持ってみてわかったのですが手に持った時の感覚が違います。
隙間が少ないと遊びとなる部分が少なくなるのでフィット感が高く感じるのです。
私が今まで好んで紙のブックカバーを使っている理由は、このフィット感の高さによるところが大きいです。
紙のカバーは本の幅に合わせて紙を折ることで隙間が事実上0(ゼロ)mmになります。
読みやすさを重視した場合、どうしても「本を買う都度にもらう紙のカバーがベスト」という選択になります。
人よりちょっと違ったブックカバーで本を包みたいと思っても、布や革のカバーはどうしても「折り目と本の間の隙間」があるため違和感が出るのです。
このジレンマをこうして少しでも解消に向けてくれていることが、何より好ましいです。
「既製品で怖いのは、『本が入らない』という状態です。大量生産が必要な工業製品ではこうしたクレームが入らないように、あえてこうした余裕を持った作りになっています」とのことでした。
こだわりに「良い」を感じる人は必ずいる
偶然通りかかったフリーマーケットで買った、一つ1000円の文庫タイプのブックカバー。
そこには作り手のこだわりがありました。
ああしたい、こうしたい、これやたらどうだろう?
どっちを採用すれば自分が納得できるか
どちらを採用すれば使う側が満足するか
そうした気持ちをスキルにのせたら
その人だけが持つクリエイティビティが発現し
その人だけが作れる作品になる。
そうした作品にわたしは「良い」を感じました。
AIでは及ばない、工場ではつくれない
個人の手作りだからこそできるこだわりと、そこに「良い」を感じる一定数の人々
どっちもニッチで、どっちも熱い
そんな関係がわたしは好きです。
わたしのなかにも、そうしたものがあるのかなと思いながら、自転車での帰路につきました。