「10年武術をやってダメなら諦めろ」は気付かぬうちに通過しました
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創造と工夫、心に明かりを
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「10年やってものにならなければ、諦めて他のことをやったほうが良い」とある武術雑誌に載っていたそんなニュアンスの一文は、中年会社員武術家Junoiwamiにとってとても衝撃的でした。
その理由は単純で、その文章を見たのが武術をやり始めて7~8年経った頃であったことや、これからの2~3年で「ものになる」まで急成長するようには思えなかったからです。
やがて周りからもそんな言葉が聞こえ出し、自分の成長と今後の展開に暗雲が立ち込めていたのも事実です。
しかしそんな状況も結局のところ自分の取り組み次第だと思うに至りました。
今回は「10年一区切り」という説がもたらした苦悩と、結局はコツコツとした努力が結果をもたらしてくれたという話です。
・年単位の迷いと取り組み
・積み重ねのうちに越えていく
何かを諦める理由がこうした他人からの風評や定説となっている人に向けて、参考になればと思います。
目次
年単位の迷いと取り組み
私は本来これといった才能もなく、同じことを始めれば短くて人の1.5倍、最大で5倍の時間がかかることは過去の実績からうかがい知れました。
そんな私が「10年でものにならなければ諦めろ」というセリフと聞くとどうなるか。
もう、いきなり最後通告でも受けたかのような顔をしていたことでしょう。
しかし「今更止めたくない」「続けたい」という気持ちが強くありましたし、先生や諸先輩方から学ぶことも多くありました。
「そこまで急成長できる見込みはないけど、少しずつ積み重ねていこう。」
そんな前向きな気持ちとは言えないながらも、自分で出来る事を地道に取り組んでいこうと思い、稽古を続けていました。
気付くと10年はとっくに過ぎていました。多分「ものになっていた」とはいえなかったと思います。
それでも自分に出来る事に焦点を当て続ける事によって、ずっと気分が楽になっていました。
積み重ねのうちに越えていく
様々な状況の変化はありましたがコツコツ、コツコツと地味に取り組んできました。
自分だけでなく、いろいろな人たちの助けもありました。
年単位の取り組みを気力や精神力だけで乗り越えるのはおそらく難しいでしょう。
「人が10日で出来るからお前もやれ、それでだめなら諦めろ」という話とは時間の単位が違います。
しんどいこともありましたし、やめようかと思ったこともありました。
でも結局やり続ける事しか突破口はありませんでした。
更に3年ほど経った頃にようやく何か違うものを感じました。
そこからさらに2年ほど稽古を続け、ようやく目安を付けることが出来ました。
気付けば「そんなことも言われたなあ」と思いながら日々の稽古を重ねていっています。
「ものになっている」かどうかは分かりませんが、人から聞いた一言でしょぼくれていた自分に「そんなの人それぞれだよ」と笑いながら肩をバンバンと叩きつつ、根拠をもって力説することが出来ます。
多分、そんな「10年一区切りの目安」は気付かぬうちに越えていたのかもしれません。
おわりに
もしも今取り組んでいることがやりたいと思うことなら、少しずつでも構いません、取り組みを重ねていくことが大事だと思います。
やり続けることで抜け出すことがあるということ事実を私は知ることが出来ました。
やってきた努力を手放すのはいつでもできるし、手放しても戻ってこられることもです。
人生は分からないもので「才能があるとは思えない私」が今では小さいながらも中国拳法の教室を運営しています。
人に何と言われようと、少しずつ少しずつ取り組みを重ねることで、大事な気持ちを守り、自分のやってきたことを結果に繋げる。
そうした亀の歩みのようなやり方があってもいいのだと思います。
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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す 岩見より
関連リンク:
稽古を諦めそうになった時に、心を奮い立たせた言葉