棍(こん)、二節棍、二刀流に日本刀。中国拳法の年明け稽古は武器を楽しみました

いつか武芸十八般の猛者と呼ばれたい岩見です、ごきげんよう。

2021年、年明け稽古始め(自主トレ)
「あはははははははっ、休みだ休みだ!
好きなように稽古ができるぜイェッフッー!!!!」
…失礼、テンションが上がり過ぎました。

いやぁ、休みです。稽古ができます。

せっかくですので武器を持っていきましょう。
(中国拳法では剣や刀などの武器を「兵器」と言います)

なにがいいかな
自室にあるだいたい15種類くらいの武器を眺める。

「うん、今日はこれにしよう」と手に取り外に出る。

朝や夜にひっそりと
太陽や月が見える空の下
冷たく静かな空気の中で体を動かす

気持ちの良さと体の声を感じる時間。

そんな2021年年明けにやった稽古の話です。

目次

武器が多くて悩む悩む

いつもは素手での練習が多いのですが、せっかくですので武器法をやっていこうと思います。

とはいえ、自室にはそこそこの数の武器があります。
だいたい15種類くらい。

先生や同門の諸氏に比べるとまだ少なめ
それでも一般的とはいえないこの状況。

ざっと眺めて何を持っていくかを検討します。

刀(かたな・とう)、槍、棍(こん)、剣(つるぎ)といった一般の人にも知られているもの

いわゆる四大武器(兵器)と呼ばれてます。

片手武器一対も捨てがたい。

双鉤(ソウコウ)、麟角刀(リンカクトウ)鴛鴦鉞(エンオウエツ)、山刀、サイ、日本刀二本流などが相当します。

日本でいう薙刀に相当する武器もある。
大刀や朴刀などは大型兵器として分類される。

二節棍、ヌンチャク、九節鞭といった軟兵器もいけるな
(軟兵器:まっすぐな棒に一つ以上の節を持っている武器のこと。三節棍などが有名)

いっそのこと手裏剣持っていくのもありかもしれん。
武器も発想も「飛び道具」って、なんちゃってな!!!
(テンションが壊れ気味)

それにしても、よくもこれだけあったもの。
何を持っていくかと悩む悩む

いつまでも悩んでても仕方ないのでひとつ手に取り人気のない時間帯に外に出ます。

棍(こん)〜1月1日

「2021年あけましておめでとうございます!」との挨拶がわりに振り回す。
ブォン!と音を響かせてしなる棍(こん)

端を持っては遠くへ大きく
真ん中を持っては車輪のように回す

刃物が付いていないからこそ両端どちらでも相手できるように操作する。

棍はとても簡素ではあるが同時に身体と意識の操作が如実に出てくる。

突いて良し
払って良し
叩いて良し

攻防自在
直線も円も描いていく。

実に良い武器。

月が照らす朝の冷たい空気の中、体を動かす。

爽快な気分だ。

良い年明けを迎えられたと実感する。

二節棍〜1月2日

二節棍(ニセツコン)
巨大ヌンチャクといえばわかりやすいだろうか。

武器として使い勝手は非常に良い。
上下に振って歩いているだけでも相当な圧迫感がある。

棍の先端が風を切るブォンブォンと鳴る中、真ん中にある鎖のジャラジャラとした音が
実に
怖い

少なくてもわたしは間合いに入りたくない。

棍の重量に遠心力が加わり抜群の威力を誇る。

自分の足や頭に誤爆しようものなら悶絶必至だ。
痛すぎてのたうち回れないのである。
痛みが引くのをじっと待つしかない。

またこうした遠心力を使う武器は筋肉を鍛えるのにも大いに役に立つ。

見た目以上の負荷がかかるため
振り回す基本動作だけでも体幹をはじめとした全身の筋力が鍛えられる。

こうした鍛え方は筋トレなどの部位鍛錬ではなく、全身の連動性を使うことになる。

マッチョな見た目にはならないが、全身の力を協調一致させる経路を開発してくれる。
その結果「見た目以上のパワーが出る」状態を作れるのが利点だ。

ただ珍しい武器ゆえ道ゆく人に「それ、なんの練習なんですか?」と聞かれることも多い(というか、今朝も聞かれた)。

二刀流(木刀)〜1月3日

二刀流
今回は木刀での稽古

自分、実は左利きなもので
右片手で扱う型があっても左手でやりたい欲求が出る。

加えて効率化と最適化を求める場合、得てして両手で一本ずつ持った方が良い。

型や扱い方を中心にすると難しい扱いになってしまうが、どうやれば相手を倒せるかを中心に置くと扱いはとても簡素になる。

陰陽両輪の動き
使ってない刀も相手に切先が向き、攻防どちらにも対応させる。

華美な動作や精妙さは二の次だ。
早く遠く正確に相手の急所に刃を滑り込ませる。

いざとなったら相手を蹴り倒し
さらに近いなら体当たりを敢行する。

見かけよりずっと泥臭いやり方。

でもわたしはそんな剥き出しの使い方が
だ・い・好・き・だ!

日本刀〜1月4日

日本刀
日本本土では両手で握り操るのが一般的。

素振りをしていると丹田に熱が入り正中線が明確になる。
ああ、やはりわたしは日本人なんだなと感じる。

抜刀は右手でもやるけど

左手でも練習する。

左抜き打ち

左右どちらでも対応する。刀を持ち替える時間さえも致命になるのが闘いだ。

見敵必殺

道徳礼節は大切だけど、武の本質を抜かないように、忘れないように抜き打つ。

刀を帯で固定しない場合もある。
戦場での立ち回りや帯刀の文化がない場合だ。

こうした時は日本刀であっても片手で扱う。
むしろ片手で扱えるだけの力と技を磨き、それを両手でも扱えるようにすると余裕が生まれる。
確か宮本武蔵の五輪書にもそんな記述があったはず。

反対の手に持った鞘は逆手のまま盾として扱ったり
順手に持ち替えて二刀流と同じように扱うのもあり。

型に沿って稽古を重ね
型に縛られずに扱う

ただ修練あるのみです。

心身の鍛錬と体からの声

武器を持ち心身の鍛錬をする。

集中し、意識を通し
鮮烈に鋭く
舞うように優雅に

体の延長として武器を使う

武はただの暴力ではなく
命の削り合い中で培われた
自己の命の結実(表現)のひとつ
である。

だから達人の動作はかくも美しく映る。

わたしはまだまだだけど、いつかそうした人たちの端っこにでも引っかかるように
少しずつ鍛錬を続けていきたい。

年明けの冷たい空気き中で武器を振り回しながら
そんな体からの声を聞いた気がします。

散歩のように鍛錬に行きたい

まるで散歩に行くように
「ちょっとそこまで鍛錬に行ってくる〜」って感じでやりたい。

 

以前中国の少林寺に行った時、武器を持ち僧衣をきた子供達が楽しげに歩いているのを見ました。

まるでサッカーボールとユニホームのような「いつもの感じ」の自然な着こなし感。
とても驚き、とても羨ましかったのを覚えています。

今回はウキウキ気分で武器を持って行きましたが、もっと気軽に軽快に武器を持って歩いていけたらいいなと思う。

なんにしても、とても楽しんだ年始の稽古でした。