辞めたい理由は関節技が効かないから?~痛みが希望となった武術の稽古の話
創造と工夫、心に明かりを
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さて、
中国拳法に取り組む中年会社員武術家JunoIwamiですが、はじめに着手した武術は大学に入ってから始めた少林寺拳法です。
しかし、今まで超インドア派であった私がいきなり大学の、しかも「武道系」に入るわけです。
「途中、辞めようとは思わなかったの?」
はい、正直何度もありました。
今回は、初めて入った少林寺拳法において、「初めに辞めたいと思った状況」について話します。
●1.大変だ、関節技が効かない!?
●2.痛みを感じない事の悪影響
●3.体は応える。解決策は「やり続ける事」
たとえそこに具体性が無くても、やり続けることでそこに希望の光が差し込むこともあるのです。
目次
<<●1.大変だ、関節技が効かない!?>>
少林寺拳法には殴ったり蹴ったりする「剛法」と関節技や投げ技の「柔法」の二つの分類があります。
しかし困った事に、私はこの柔法が効きにくい体質だったのです。
全てというわけではないのですが、それなりの種類の技に対して「痛み」を感じませんでした。
同期の人は勿論の事、先輩方にかけてもらっても、「これ以上やったら骨が折れる」というところまでやってもらっても、痛みを感じないという状況だったのです。
「良いじゃないか、実戦じゃ有利に働くだろ?」と人は言います。
それはそうかもしれませんが、私が普通にやっているのは稽古です。
互いに切磋琢磨し合う場において、この体質はあまり良くない状況でした。
<<●2.痛みを感じない事の悪影響>>
痛みを感じないとその技の有効性が分かりません。分からない技は習得が困難になりますし、手加減も聞かないので相手に怪我をさせるリスクが高くなります。
また私に技をかける相手にとっても不都合があります。
一般的な人であれば苦痛に顔を歪めるほど腕を極めても涼しい顔をしている私を相手にしては、自分の技に疑問を持ってしまい、上達に悪影響を及ぼす可能性が高いのです。
私は自分の体や自分の習得状況より、こうした相手への負担が気になって仕方がなかったのです。
悩みました。
思い過ごしではなく、実際に「こいつと組んでも技が効かないからやっても意味がない」と言われたこともあります。
具体的な解決策は浮かばず、辞めようかとさえ思いました。
しかし、そんな状態でもズルズルと稽古を続け、気付けば2ヶ月が経過していました。
<<●3.体は応える。解決策は「やり続ける事」>>
そんな悶々とした心持ちで稽古をしていたある時、ほんの少しですが光が見えました。
ごく一部の先輩方の技に限ってですが、痛みを感じるようになったのです。
その時の感想は、何と言ったらいいのでしょうか
「辞めなくて良かった。諦めなくて良かった」と痛みへの感謝と「やっぱ痛いんだよチクショウ」という感情が入り混じる、よく分からない感情が駆け巡りました。
痛みが分かれば、後はその痛みの仕組みを解明するだけです。
何をどうやれば自分の体が痛みを発するかを調べました。
他の人の表情や本当に痛い時の反射を観察して、自分の体に反映させました。
最終的には自分の関節の限界が大体分かりました。
本当に痛い場合もありますし、痛くなくても「一般的に危険な角度」がどのくらいかが分かったので他の人への負担も軽減した筈です。
<<ある種の確信と希望>>
私はこの取り組みである種の確信を得ました。
それは「今は分からなくても、辞めずに続けることで解決する問題がある。」という事です。
そこには好き嫌いや損得ではなく「やれば体は応えてくれる」というとても単純な、理屈にもなっていないものがあるだけです。
しかしそんな理屈にもなっていない事が、私にとって答えの見つからない状況を解決してくれたのは間違いありません。
やれば、続ければ、応えてくれる。それは何かに取り組んでいる人にとっては、少なくとも私にとっては、ちゃんとした希望になったのです。
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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す 岩見より