情熱は力強さと素早い行動を生む〜中国拳法の教室再開にむけての自己探求

2020年6月1日、中国拳法の教室を再開しました。
5月26日の新型コロナウィルスによる緊急事態宣言解除からすぐのことです。

考えてばかりで行動が遅いわたしにしては珍しく、力強く素早い動きでした。

行動を後押ししたものは情熱。
その熱量は「情念」と言っても過言ではないほどでした。

深い部分で自分とつながり、わきあがってくる感覚。

「これ以上、自分が情熱を注ごうとしていることを抑えつけていたくない。」
「伝えたいことがたくさんあるんだ。」

その情熱が力強さをもたらし、想像以上の行動力を発揮したのです。

今回は考えて葛藤しながらも力強さと素早さをもって行動できた情熱について言葉にします。

目次

情熱と思考の葛藤

上の文章では勢いよく決めているように見えるかもしれませんが実際は葛藤がたくさんありました。

思考がもたらすネガティブな意見が止まないのです。

そうした思考の言い分を聞き
情熱の向き先をあらため

その上で情熱に自分を賭けたのです。

情熱の向き先、伝えたいこと

わたしの情熱が向かう先は、人間(自分自身を含む)が持つ可能性を探索し開発すること。
どんな時でも希望が自分自身の中に存在すると実感すること。

武術を通してそれらを伝えたい。

理論と伝統に裏付けされた武術は身体操作の理論だけでなく、哲学も内包します。
「武徳」と言われるものもこうした要素を体現する人たちが体現したものです。

世の中の意見を見聞きするに、どうやら武術を単なる戦闘手段や暴力装置と考え違いをしている節が多くみられます。
わたしはそれがとても悔しく悲しい。
武術はそんな浅いものでは断じてないのです。

武術には、生きていく中でつらい思いをしても、這いあがって立ち上がり、弱きものに手を差し伸べる強さがあります。

どんなときも自身の中に希望と可能性があること。

これをわたしは伝えていきたい。
そのことに情熱を燃やしていきたいのです。

思考の言い分

テレビやインターネットからは、なにが面白いのかネガティブキャンペーンのごとく陰鬱な情報ばかりが流れています。

たとえそうした情報に引きずられなくても、練習再開に向けて動こうとしている自分の頭にも否定的な言葉が流れます。

「まだ宣言が解除されたばかりだし、様子を見てはどうだろう?」
「もし自分がコロナに罹患して、それが両親にうつりでもしたらどうするつもりだ?」
「練習に参加者した人がコロナに感染したらどうする?」
「自粛警察どもにつるしあげられるのでは?」

まだ見ぬ不安がささやいてきます。

あるいは、かつて実際に言われた罵詈雑言や痛い目を見た数々の記憶がよみがえり自分を追い詰めていきます。

やがて少しずつ後ろ向きな考えが頭をもたげてきます。

思考はリスクを見つけ、回避することに長けてます。
しかし同時に起きてもいない未来や過ぎてしまった過去を事実のように示します。

未来への不安
過去の傷

しまいにはそれを理由に思考の中で合理化し、自分にとって最も都合のいい結論に着地しようと誘導してきます。

「やっぱり止めた方が良いのではないか
不要不急じゃないからあせることないじゃん
ほら、別にこれがメシの種ってワケじゃないしさ
オンラインでやる方法もあるからそっちを模索する方法だって残されているじゃないか
そうそう、むしろここでやらない選択をすることこそが自分や周囲の人、それに世間との良好な関係を示すいい機会じゃないか」

その答えは幻想なのに、渦中にいるとわからないのです。

今を生きるための前後裁断

今を生きる。
今に生きる。

わたしはそれをしているだろうか

未来は、いまだ至らざるもの
過去は、すでに過ぎ去りもの

わたしはいつまで来もしないものに怯え
どこまで女々しく過去に縛られるのか

断ち切る力と意志は、わたしにはないのか!

「いや、ある。ここ(自分の内に)ある」

他でもない武術で
学んできた心の学びで

なにより
今まで生きてきたこと自体がそれを示している。

それを伝えるために今の自分に必要なことはなにか?

それは「前後裁断」という考え方。

「前後裁断」は日本古来よりある考え方のひとつです。

未来の不安を断ち切り(後断)
過去の後悔や傷を断ち切る(前断)

今(現在)を本質として自分自身を生きる。

それが前後裁断。それを自分に試みる。

今、わたしがしたいこと
やりたいことについて

未来の不安や過去の痛みを理由に逃げない。
しっかりと向き合っていく。

今を生きること
今に生きること

それを決めたとき、命が鮮やかに、情熱を持って動きだすのを感じました。

情熱を言葉と力強さにかえて

この段階での情熱の燃え上がり方は凄いものでした。

誰がなんと言おうと知ったことか

(世の中からみて)合っていようと、間違っていようと関係ない。
ただ、自分が自分自身たれと、そう言えることをやっていきたい。

いや
やるんだ!

情熱というのは注ぐべきところがあってはじめて発揮されるものです。

希望と可能性を示す、武術を使って
今まで生きて、学んできた全てを使って

思考が作り出す幻想は絶えずあっても、薙ぎ払っていく力強さを自分の内に感じる。

その巨大なエネルギーはまるでナウシカの巨神兵のようだ。
(いや、巨神兵だと最後オームの群れにのまれるからマズイのか?)

丹田に意識を置き、腹式呼吸を繰り返す。

うん、力は安定している。

不安も怖さもあるけど、それさえも支えて一緒に歩く力を感じる。

この感覚でことを動かしていこう。

再開後の感想として

6月1日に予定通り練習を再開しての正直な感想は想像以上の充実感でした。

「2ヶ月ぶりのみんなで集まっての稽古はとても充実していた。

活力が上がり、笑顔が戻り、元気になれる。
そんな場所と取り組みを武術を通してこれからも伝えたい。」

ここで書いたことは偽らざる本音です。

コロナ騒動で一度活動が空白となりましたが、そのおかげで自分の中の情熱を再確認することこができました。

これからも情熱を持って活動を続けていきます。