「ん、後でね」~雑念が取れない時に呼吸法と組み合わせたい一言
創造と工夫、心に明かりを
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さて、
呼吸法を繰り返すことでざわついていた心に平静さが戻ってきたら、更なる心の静けさを求めてしまうのは、私が欲深いからでしょうか?
それとも逆に、何度呼吸を繰り返しても一向に心が静まらない事に返って心労を感じてしまう心の弱さが私の本性なのでしょうか?
この二つに共通するお邪魔要素は「雑念」というものです。
今回は呼吸法と併せて使うことでしつこい雑念すら効果的に除去できた一言を紹介します。
●1.そのままにただ感じ取る
●2.遠くを眺めて通り過ぎるのを待つ
●3.「ん、後でね」と呼吸に戻る
中年会社員武術家JunoIwamiは一人静かに息を整える事を繰り返し、心を落ち着かせたいのです。
目次
<<●1.そのままに、ただ感じ取る>>
何かをやっても、やらなくても、体や心は自分に向けて信号を発しています。
これは脳が絶えず働いている証拠なので、おかしなことではありません。
例えば、私の場合、練習中に「ああ、足腰がきついなあ」、「もっと手足を動かしたい」と体が発してきます。
じっと座っていても「あれはどうなったんだっけ?」、「あの案件はちょっと嫌な気分だったな」などの心の引っ掻かりが出てきます。
大事なのは、この湧き上がる信号について、そのまま感じ取る事です。
これが、心の平穏を手に入れる第一歩になります。
「あれは腹が立ったなあ」とか「次の機会ではここを直そう」など、信号を起点に思考を発展させないようにします。
<<●2.遠くを眺めて通り過ぎるのを待つ>>
次に、感じたことに対しては、「基本的に何もしない」ようにします。
視線をボンヤリさせ遠くの景色でも眺めているようにしながら、心に波風を起こさずに呼吸を続けます。
しばらく呼吸を続けていると、心に湧き上がっていた様々なことがいつの間にかなくなっています。
これでまた呼吸に戻れます。吸って、吐いて、その繰り返しです。
また心に何か湧き上がってきますが、それも同じように通り過ぎるのを待ちます。
一般的に静かにしたい時に心に湧き上がるものを「雑念(ざつねん)」と言いますが、これを追い払おうとするのはお勧めしません。
雑念を追い払おうとしたり、蓋をしようとすると、自然とその雑念に振り回されることになります。
出来るだけ静かに、心を落ち着かせておけば、川に流れる葉っぱのように雑念は流れてくれます。何もせずにいるのが一番良いのです。
<<●3.「ん、後でね」と呼吸に戻る>>
どうしても通り過ぎてくれない「雑念」がある場合はどうしたらよいでしょうか?
こうした場合、私は一度その雑念に目を向けます。
そしてその雑念に向かって一言つぶやきます。
「ん、後でね。今呼吸法をやっているから」
そうすると、雑念が「今の自分の中」にいる理由が薄らぐので、指の隙間からすり抜けるように消えていきます。
通り過ぎるまで待つのが億劫な場合は、こうして雑念に向けて一声かける事で自分の雑念を後ろに流していきます。
<<後に残るのは、静かで充実した心地よさ>>
しばらく雑念は湧き上がり続けますが、やがてそれも力尽きます。
あれこれと発信してきた信号はいつの間にか止み、ある時不意に静かになります。
この時の自分は、呼吸をしている事に神経のすべてが集約しています。
特に何かに思い悩むでもなく、欲しいものを渇望するわけでもない、そんな静かで充実した心地よさが私の心を満たします。
深く深く、穏やかな心は「ただ息をする」という行為の先にあります。
余計なことはせずに、吸って、吐いてを繰り返す。
それだけの事なのです。
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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す 岩見より