水面に映る雲をみながら足をとめたのは自分の心と現実の映し鏡を感じたからでした
なにげなく撮った写真。
水面に映る雲と橋。
「あ、この風景いいな」と思ったのでパシャッと一枚。
「あれ?なんで、この風景がいいなって思ったんだろう?」
写真を撮った後にもう一度風景を見渡しました。
なにか、心に触れるものがあったのででしょう。
だから足を止めた。
だから写真を撮った。
しばらく考えて「ああ、なるほどね」と思い当たる部分が出てきました。
映し鏡、合わせ鏡。投影の関係。
自分の心の状態が現実を創っているという考え方が私の中にあって、それが雄大な景色となって私の前に広がっていた。
だからその考えが消えないうちに、こうして風景として目に焼き付け、写真に撮っておこうと、そう思って身体が応えてくれたのかなと思いました。
心の状態が現実を創る
人は心の状態によって現実の受け取り方が違ってきます。
楽しい状態だと目に見えるものがあざやかに映ります。
落ち込んでいる状態だとみんなどんよりします。
同じ言葉をかけられても
気分がいい時なら気づきを得て、お互いに良い関係になります。
不安や疑いにとらわれている時は敵意と反発心で対応して、お互いギクシャクします。
現実はただの事実です。
そこに様々な意味を持たせるのは人の思考です。
そして思考は心の状態で全く変わってきます。
だから今、目の前にある現実は、自分の心の状態が作っていると言えます。
ゆらぐ水面の像は現実か心か
なんとなくですが、水面に写っている雲が私の心だと感じました。
夕日に照らされながら流れていく雲が現実。
雲はただそこにあるだけです。
それを映している水面という心の状態はすこし揺らいでいるようです。
だから雲がぼんやりとしている。
また逆に、何か心の中にあるのだろうとも思いました。
現実に雲を映し出すだけの「何か」が心の中にあって。
それはまだぼんやりとしているけど、それでも一部ははっきりと現実に投影されている。
そんな印象を持ちました。
わたしが足を止めて写真を撮り、そのままボーッとその景色を見ていたのは、自分の心と現実の関係性をもっと深く、確実な部分で印象付けようとした身体と心からのメッセージだったのかもしれません。