インドア派人間がキャンプを始めたのは「体感すること」を強く求めたから

ひとり、火を見る

自他共に認めるインドア派人間の岩見です、ごきげんよう。

そんな人間がなにを間違えたのかキャンプを始めました。

2018年8月の準備からはじまり、9月からは月に一回キャンプに行くというペースです。
その変貌ぶりに友人から「なにがあったの?」と聞かれるほど。

今回はそんな「インドア派人間がキャンプを選んだ理由」についての話が中心になります。

きっかけとなったふたつの気持ち

キャンプを始める前にきっかけとなったことが二つありました。

ひとつ、自分の無知さを自覚したこと
ひとつ、たくさんのことを体感したいという強い欲求がわいたこと

このふたつのきっかけを元にして自分に向き合ったところ、自己変容のために体験値(知)を積み重ねたいという挑戦心となりました。

とても漠然とした気持ちの部分からのスタートです。

だからでしょうか
思考や知識ではない分野に挑戦したい。
ダイナミックな方向転換を感じる行動にしよう。

そんな今までとは違う方向性を選ぶという流れが自分の中に生まれたのです。

ひきこもりたいインドア派のはずの自分がキャンプ(アウトドア)という真逆の行動を選んだ理由は、こうした方向転換を求める声がベースにありました。

胸に空いた「無知」の穴

きっかけとなったことについてもう少し語らせてください。

「わたしって、なにも知らないんだ」

2018年7月、そんな自覚が頭と胸に去来しました。

胸にぽっかりと空いた「無知」という穴。

知識の不足
体験の不足
圧倒的なまでの経験値(知)不足

「虚無」にも似た脱力感が全身に這い回っていました。

丁度大きな挫折があったこともあり、足元から崩れるような感覚が抜けません。

拡大していく人とのつながりの中で自分の「身の程」を突きつけられ、分不相応な希望と現実的な失意の間を行ったり来ていたりしていました。

なにかをやろうにも力が抜けてしまい上手く活動できない状態。
そんなぬぐいがたい感覚が続いていたのです。

気持ちの棚卸し〜なにを求めているのだろう?

いつまでも脱力モードに浸っていても仕方ないので復活に向けて動き出しました。

しかし日常の延長では上手く自分を盛り上げることができませんでした。

「もっとダイナミックな方向転換が必要だな」とこのころから感じました。

知識と思考で日常を回していくのがわたしの基本的な行動パターンです。

となるとそれ以外の方法を使ってみてはどうだろう?
上手くいけば自分を満たし、方向性を見出すこともできるだろう。
そんな考えが浮かびました。

では、わたしを満たす要素はなんなのだろう?
わたしはなにを求めているのだろう?

そんな疑問があらためて頭をよぎりました。

自分の気持ちを明らかにするために、棚卸として記録を見返すことにしました。

記録から体感と感動を呼び起こす

わたしは自分の行動記録を見返すことにしました。

感動したこと
満たされたと感じたこと
テンションが上がったこと
皮膚感覚や身体感覚を強く感じたこと

残されている記録の中から身体感覚を中心に強く感じた出来事を洗い出します。

きっかけとなったことが無知の自覚だからといって無知を満たそうとする出来事は外しました。

わたし自身が心から震えた体験を拾い上げていきます。

旅、自然、命の息吹き

記録を見返していった結果いくつかのキーワードになるものが出てきました。

それらは旅であり

海や空、太陽や森といった自然であり
そこに感じる命の息吹きのようなものでした

命の息吹き
命の力、活動力、そうしたものを自分の外や内に感じたとき、自分の心が大きく揺さぶられることがわかりました。

例えば
オーストラリアのケアンズで見た太陽は世界を塗り替える熱量を感じました。
あの時の全身が焼けつくような体験はとても強く私に残りました。

例えば
ハワイ諸島にあるオアフ島の海を見たとき
あまりの美しさに両膝をついて泣きそうになりました。

オアフの海

雲海に沈む夕日は雄大さと美しさでわたしを包んでくれました。

雲海に沈む夕日

例えば
世界遺産のバリンレイク(オーストラリア)に行ったときは
わずかに降った雨によって湖や森から霧がでて、幻想的な風景になりました。

バリンレイク

そこにいる魚や花や鳥が平和な静けさをくれました。
そんな幻想的な湖のほとりで暮らすことに大きな夢を感じました。

バリンレイクの湖面にて

例えば中国では
例えばベトナムでは
例えばグアムでは
いろいろとありました。

外に出て、空気を感じる
ただそれだけで感動している自分がいました。

きっとそれは無知が故
なにも知らないからこそ、体感するだけで感動している自分がいました。

強い欲求と挑戦心

感動すること、感動を体感することが欲しい。

できるだけたくさんの体感と感動で身心を満たしたい。
体験値(知)を積み重ねたい。

それはきっと今までとは違う自己変容につながる。
挑戦するに値することだ。

とても強い欲求が出てきました。

その強い欲求はどうやれば手に入れられるのか?
なにに挑戦すれば満たすことが出来るのか?

それが課題となってきます。

安易な選択をしないよう自分に言い聞かせます。

インターネットで太陽の熱さを感じるか?
本の中から森の木の葉が擦れる音が聞こえるか?
湖から湧き立つ靄のような霧を説明するのにどれだけの文字を重ねればいい?

体感だ。
必要なのは、求めているのは体感だ。

皮膚に
目に
舌に
耳に
鼻に

五感だけじゃない。
目に見えないエネルギーも加えて
全てを体感する必要がわたしにはある。

記録にある過去のわたしの行動からでた結論は全身を駆け巡りました。

キャンプという選択へ

外に出よう、体感しよう。
そうは言ってもインドア派。
なかなか外に出るのは難しい。

どんな発想からキャンプが出てきたのか。
そこも経緯があるのです。

行動記録からピックアップされたのは海外旅行に関連する出来事ばかりでした。

非日常。
日本語は通じない。
日本のあたりまえが通じない世界。

だからこそ肩書のない「個人」として環境にさらされる。

だからこそ得られた体感覚に感動し心が震えた。
ここまではわかりました。

では感動体験を再現するために海外に飛び回る?
そんな時間とお金はないので却下です。

ひとり旅で国内旅行はどう?
違う、ひとり旅は既にやっています。

やっているにもかかわらず今回ピックアップされなかったのはなぜ?

飛騨高山に行ったひとり旅。
安全だった
人がいた
文化があった

「とても快適だった」

そう、快適だった。リラックスできた。
心も体も癒されたであろう。

ただし、人の手によって。

…ん?
わずかに覚えた違和感。

「人から提供された快適さ」があるとダメなのか?

では快適さを求めないひとり旅はあるのか?

そこで思い出したのが大学時代の同期の友人Sの話でした。

友人のキャンプ体験談

友人Sはキャンプの話を聞かせてくれました。
見せてくれた写真にはキャンプで食べたという「ふかしたじゃがいも」の姿がおいしそうに写っていました。

北海道のクマ出没注意地域での夜はとても怖かったそうです。

長旅を共にしたバイクの写真を見せてくれました。
途中で寄った素晴らしい景観の写真もたくさんありました。

焚火やテントの写真もありました。

それはそれは楽しそうに話す友人S。
「自分の楽しみを作る快適さ」をそこに感じました。

多くの人が望む「リゾート的な快適さ」とは全く違う方向性の楽しさがそこにありました。

話を聞くだけだった「キャンプ」は現実的な魅力を持ち、近づいてきました。

焚き火は燃えて

快適さを求めない旅から得られる「体感」とはなにか?

求めているのが体感なら、むしろ快適さをなくした方がいい。

快適さを求めない旅を目指していいのだ。
そこから得られる体感は、きっと今までにないものだ。

屋根にあるところで快適に泊まるだけが旅行じゃない。
自分でテント持って不便さを楽しむことだって旅行と言える。

衣食住すべてをバックパックに詰め込んで
両足で歩いて
両手にもって
歩いていけばいいじゃないか。

キャンプはそれができる。

寒い時は寒さに震え、暑い時にはうだればいい。
それが体感になる。

エアコンもなければ着込む服もカイロもない冬の夜はどんなものだろう?
虫よけを忘れた夏の夜はどれだけ虫刺されになるだろう?

不便だ。
ぜんぜん快適さがないよ。

でもワクワクするじゃないか。

友人の言っていた夜の怖さなんか知らない。
こんなこともわたしは知らない。

夜も明るいのが当たり前の東京で生まれ育ってきた。
スイッチひとつで明るくも暗くできる環境で暮らしてきたから知らない。

クマ出没注意とか言われてもわからない。
テントの向こうから聞こえる物音ひとつ、動物の叫び声がどれだけ怖いのか想像は出来ても実感がないから全く分からない。

だったらそれを体験すればいい。
やばいよ、快適さのかけらもないよ。

でもそれを体感した自分はなにを感じるだろう。
想像するとゾワゾワくる。

どんなに悩もうと苦しもうと昇ってくる朝日や茂っていく木々を見たとき、わたしはなにを感じるだろう?

自然の中でただ目に映るものを見ているだけの自分は何を感じるだろう?

なにも知らない
自分の事なのに、住んでいる日本のことなのに、なにも知らないじゃないか。

無知だ。無知に頭を抱えている。
だからこそこれから体感し、感動し、知ることができる楽しみに頬がゆるむ。

キャンプでは薄いテント以外は屋根も壁もない状態で過ごす。
それはインドア派では味わえない、真逆の体験をわたしに積ませてくれるに違いない。

快適さの裏になくしていったもの
安全安心を優先する文化の中に消えていった野生を取り戻す。

命が安かった時代に逆戻りするかのような取り組み。
だからこそ自分の命を感じることを味わえる時間!

快適さを求めない旅という選択に気づいた時、おおよそ方向性が見えてきた。

快適でないひとり旅としてキャンプを選ぶ。
いいかもしれない。

テントから見える景色

自分一人の新しい挑戦~キャンプ、やってみる?

キャンプは誰と行く?
もちろんひとりで。

お金はあるの?
海外旅行より費用は抑えられるはずだ。
テントとかを買う必要はあるだろうけど、買ってしまえば後はどうとでもなるだろう。

頻度は?どのくらいのペースで行くの?
ひとりで身軽に行けるし、お金も安そうだから、隔月くらいで行けるんじゃないか?
同じペースで海外旅行なんかいったらお財布の中がブリザードになるわ、移動時間だけで大変なことになりそうだ。

快適じゃないよ?
そこはもう割り切ろう。
壁も屋根もエアコンもない環境の方を今は楽しもう。
不便さが気に入らないならやめればいいだけのこと。

自分に聞く問いに自分で答えていく。
思った以上にノリノリじゃないか。

よろしい!
では、キャンプだ。

外に出て旅に出よう

住み慣れた日本のなかで
まだ見ぬ美しい景色を見よう
目をつむって空気を肌で感じよう
耳に聞こえる音に身を浸そう
焚火で作った料理で舌と鼻を楽しませよう

自分一人の新しい挑戦。
素晴らしいじゃないか。

失敗しても誰かに責められることはない。
自分が風邪ひくなり痛い思いをすればいい。

失敗しながら「じゃあ、次どうしようか?」と楽しむ感覚。
実に悪くない。

自分の無知さを自覚したことから始まり
たくさんの感動と体感で身心を満たしたいと強く求めた

自己変容のために体験値(知)を積み重ねたいという挑戦心はキャンプをやるという形にまとまった。

他人にとっては「それだけ?」な理由でも
わたしにとっては十分な理由なのだ。

星空の下のテント

「キャンプ、やってみる?」
イエスだ。やってみよう。

ひきこもりがちな理屈っぽいインドア派だから自己問答に遠回りした。
それでも一つの結論が出た。

この選択がどうなるかはわからない。
成功とか失敗とかは問題ではない。

検討したこと
体験したこと

全てが財産になる。

そう思うからインドア派とは真逆のキャンプというアウトドアをあえて選んだのだ。
これからが楽しみだ。