「縄文人の一生~西ヶ原貝塚に生きた人々」(東京都北区飛鳥山博物館)をみて縄文人の文化は深い祈りに根ざしたものだと感じた

飛鳥山博物館入り口

人類の歴史や文化にとても魅力を感じる岩見です、ごきげんよう。

地元の博物館で開催されていた縄文時代を対象とした展示会を見に行きました。
そこに展示されていたのは「深い祈りに根ざした文化」でした。

現代よりはるかに過酷で、生より死が身近な時代に生きた人達。
過酷な環境で支え合いながら生きた人々の「深い祈り」にも似た精神性。
人間は心の奥底でそうした「祈り」を持っているのだとわたしは思っています。

「縄文人の一生」というポスターを見て、わたしは

ある朝、武術の稽古の帰りにテクテクと歩いていると、地元で開催されるイベントが貼り出されている掲示板に目が留まりました。

そこには「縄文人の一生」とデカデカと書かれているポスターがありました。

縄文人!
はるか昔、確かに存在した時代に生きた人々。
義務教育で習いはしたけど、土偶や貝塚くらいしか覚えていないぼんやりとした時代に生きた人々!

どんな精神性をもって、どんな暮らしをして、そしてどんな死を迎えていたのか。
「一生」という言葉にいろいろと想像が膨らみ、俄然興味がわきました。

わたしが住む東京都北区は、西ヶ原貝塚や馬場(ばんば)遺跡といった縄文時代の遺跡が広く分布しているため、縄文時代とは縁が深いのです。

しかし地元だからこそなぜかスルーをしていた若い頃の私。
今ここで見ておかなければ、いつ見るというのだろう?
そんな強い吸引力を感じました。

開催場所は東京北区の「飛鳥山博物館」で料金は無料。
期間限定の展示であり最終日は2017年12月10日。
さっそくわたしは休日の午後を利用していくことに決めました。

到着、飛鳥山博物館

JR王子駅の改札を出て坂を上るように歩いていくと東京都北区が誇る博物館、飛鳥山博物館に到着です。

博物館の入り口付近にあったハンコを手持ちの手帳にバンッと押してみました。
狐の絵柄は王子稲荷神社に関連するものですね。
お土産コーナーにも狐にまつわる品々が置いてありました。

入り口にあった狐のハンコ

もともと北区には紙の博物館や郷土資料館など小さな博物館が点在していました。

そんな点在していた博物館や資料館を統合し、平成10年春に完成したのが飛鳥山博物館です。
考えてみたら、この博物館が完成してから足を運ぶのは初めてだと、ここで気がつきました。

わたしは中学、高校の頃は統廃合前の小さな施設や博物館に行っていましたね。
あの、暗くて、ほとんど人がいなくて、静かな感じ。
静寂の中で歴史の足跡や人の営みを感じる空間が大好きでした。

特別展示「縄文人の一生~西ヶ原貝塚に生きた人々」

展示場所は入り口から右斜め前方に目を向けると直ぐにわかりました。
「縄文人」っぽい恰好をした男性のパネルがお出迎えしてくれるからです。

縄文人のさわやか男性

縄文人パネルの向こうには、遺跡の発掘の歴史についてパネル展示されていました。

遺跡は想像していたよりずっと広い範囲に分布していました。
多くの人が発掘にかかわっていて
意外と生活に根差していて観光にも役に立っていたとか
この展示だけでも教科書には載っていない「地元に密着した郷土資料的な知識」をたくさん得ることができました。

「貝塚では、人骨も発掘されていた」
最も意外だったのはこの一文でした。

確か、学生時代に習った縄文時代の「貝塚」は生活に不要になったゴミ捨て場だったように記憶しています。
となると、そんなところに人を埋葬するでしょうか?

発掘された写真を見ると、その姿は「埋葬」されたものでした。
ゴミ捨て場とは違う「尊厳と祈り」のようなものを感じました。
これは、なにか、違う。
今まで私が想像していた縄文時代とは違う「なにか」がここから先にあることをひしひしと感じました。
プロローグパネル

命と土偶

特別展示室の入り口には、天井まで届く大きな絵が仕切りを兼ねておかれていました。
そこには母と子供が描かれていました。

パネル、命と祈り

今よりもずっと過酷で、医療技術もない時代。
そんな時代では、赤子は、子供はとても大切な存在であり
それを生む母はまさに命がけであり
見守る大人たちは祈るように関わっていたのだと思います。

それを象徴するもののひとつとして土偶が展示されていました。
形は女性を模していて、大きさは手のひらサイズでした。
お腹の中に小さな玉が入っている土偶もありました。
妊娠中の女性を模したものだそうです。

これらの土偶にどのような思いが込められ
そしてどのように使われていたか、そうした説明がされていました。

実物の貝塚

なにごとも実物を見ると結構感動します。
展示品としてここでは貝塚が展示されていました。
地層のように重なっている土と貝
その迫力におどろきです。

貝塚の実物

それと共に、今は陸地であるこの地は
これほど豊富な貝類が取れた場所であったのだと感じました。

海と森の狩りと食べ物事情

海もあれば、森もあったようです。
槍や矢じりの先端部が展示されていました。

矢じりには毒が塗られていたケースもあったらしく。
変色した骨の鹿の標本もありました。

木の実から見る季節毎の食べ物。
すりつぶすための道具。
さまざまな動物の骨がありました。
想像するよりずっと手の込んだ食べ物が採れていたようです。

森の動物の骨

想像以上に精巧な壺

お茶やお酒をためたり、注いだりするための容器や壺も展示されていました。
長く伸ばした粘土を重ねながら作っていく縄文式土器しか知らない私にとって、ここまで美しく精巧な容器が存在していたこと自体が驚きです。

ツボや土器、急須

どうやらあれですね、わたしは縄文人の技術力の高さを侮っていたようですね。
もうこれは文化でしょう。さすが日本人、匠(たくみ)の技です。
高い技術がうかがえるツボ

どういった人たちが使っていたのか、想像が止まりません。

旅人との交流を示すもの

遠くから旅してきた人や近隣の人々との交流もあったようです。
その証となるのは鉱物、装飾品の類だそうです。
旅人来たれり

勾玉であったり首飾りであったり
身に着けるものの質が全く違う品があります。

その土地では産出しないはずのものがある。
しかも装飾品として加工されている状態です。
装飾品の展示

そうした品々が発掘される理由としては旅人との交流というのが大きいでしょう。
また出土した人骨を分析、比較した結果、肉食を主体とした土地の出身者がいることがわかっているようです。

貝塚という魚介類が豊富な西ヶ原とはちがう食糧事情の土地がある。
そこから旅してきた人が何かしらの理由で埋葬されたというながれのようです。

鉱物、装飾品、食糧事情、それぞれが違う場所に人が住む地域があり、その人たちがが交流している。
目の前にある品々を見ながら、どんな様子なのかを想像してみました。

祈りと感謝の精神性

特別展示の最後には、発掘された人骨が展示されていました。
人骨

横たわる姿は現代人と変わりないように見えます。
いまからずっと昔に亡くなり、いまここにいる人。

この人は、その時どんな人で、なにを見て、なにを感じていたのか。
どんなものを食べ
どんなことを話し
誰と触れ合いながら生きたのか
誰も知ることはできません。

この人物の周りには、壺に入った宝飾品などのたくさんの埋葬品があったそうです。
そしてその埋葬場所は、貝塚に重なる場所になっていました。
(貝と一緒に埋められているわけではありません)

貝塚に重なるようにして、貝以外のものもよく埋められていたようです。
貝以外の物とは土偶や壺、皿などです。

貝塚は役目を終えた物や人にむけて、感謝と再び会えることへの願いを込める、感謝と祈りの場でもあったのだなと感じました。

ただのゴミ捨て場だと、ずっとそう思っていた自分の認識をあらためたいです。
貝塚にある祈り

まとめ~祈りと精神性を感じ取った

「縄文時代って戦争や争いごとがなかったそうだよ」
2017年10月、ある学びの場所でこんな一言を聞きました。

わたしはこの言葉にピクッと反応しました。
言葉の真偽、戦争や争いごとの有無というより
そういわしめる環境と人々の精神性に反応しました。

わたしのように精神的にも身体的にもツライ日々を経て、結果的に武術や心の学びに行きついた人間にとって、とても興味深いのです。

どんな精神構造と環境への適応性があったのだろうかと、純粋な興味と疑問がわきました。

展示規模はとても小さく、ゆっくりと2回まわっても45分で終わりました。
この小さな展示会で感じたことは、過酷な環境で支え合いながら生きた人々の祈りと精神性でした。

今より過酷で、医療技術だって発達していない、生より死が身近な時代。
ひとつひとつの展示に祈りと、感謝と、人と世界へのかかわりが見て取れました。

期間限定の、小さな展示会。
そんな機会に足を運んで、わたしは知識以上の目に見えないものを得ることができました。

<関連リンク~外部リンク>
秋期企画展「縄文人の一生ー西ヶ原貝塚に生きた人々ー」(北区飛鳥山博物館)|東京都北区
北区飛鳥山博物館|東京都北区