不思議感覚が体を駆け巡る~中国拳法での充足感は「自分との一体感」にある

創造と工夫、心に明かりを
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さて、
中国拳法をやっていて、充足感を感じる状況は何?と聞かれたら「自分との一体感を感じた時」というのが答えの一つとして挙げられます。

「自分は自分なんだから一体感も何もないだろう?」と言われるのですが、実際に「ピタッとハマる感覚」は日常では感じる事のない不思議な感覚です

今回は、そんな「自分との一体感」について話をしたいと思います。

●1. 動きと心と呼吸が一体化する
●2. 自分自身という、自然な判断基準

自分との一体感があると、とても軽やかに体が動きます。その軽やかさは心がスッと落ち着く状況を作ってくれるため、中年会社員武術家JunoIwamiは日常でもそれが呼び起せないかと頑張っています。

<<試合を対象としないけど目指すものはあります>>

中国拳法は基本的に試合もなければ点数の取り合いもないため、目指すべき結果と言っても曖昧になりがちです。

それでも健康目的をはじめとした愛好家が多いのは、何かしらの目指すものがあるからです。
「自分との一体化」はそうした目指すものに対して大きく関わってきます。

●1. 動きと心と呼吸が一体化する

自分との一体感と言っても、何が対象となり一体化するのでしょうか?
中国拳法の場合は主に動きと心(意識)と呼吸が対象となり、この3つが一体化します。

一体化した時の感覚は説明が難しく不思議な感覚です。
例えて言いますと「ヨーイ、ドン!」で自分の中にあるあらゆるものが、一斉に、万遍なくその目標に向かって進む感じです。

私の場合、一体化していない状態でバットをフルスイングで振り抜こうとすると、僅かに体の動きがずれたり、息が詰まったり、考え事が頭をよぎったりしてしまいます。

しかし「一体化」が起こるとそうした雑念やズレが不思議なくらい無くなり、軽く素早く心身ともにリラックスして振り抜くことが出来ます。しかも何度でもです。

●2. 自分自身という、自然な判断基準

点の取り合いがないという事は、判断基準として「点数を取る方法」などの小手先の技が利用できません。そのため自然と自分自身が判断基準(または判断材料)となります。

自分自身という基準はとても鋭敏であり誤魔化しが効きません
自分との一体感がない時や不足している時は、様々な不調や違和感で「違うぞ!」という事を発信してくれます。

この発信された情報をこまめに拾い上げていくと、どんどんと雑念やズレがそぎ落とされ、感じたままの、裸に近い感覚の自分が出てきます。

この裸に近い感覚の自分を更に繰り返すことで、余計なものを脱ぎ捨てた、動きと心と呼吸が一体化した自分になるようにしていきます。

太極拳は一体化に向けての取り組みが強く出ており、普通では考えられないようなゆっくりとした動きで型をやります。このゆっくりとした動きに、心と呼吸を合わせていきます。

<<日々の充足を求めて>>

スポーツとは目的がややことなる中国拳法ですが、楽しみ方や目的は人それぞれです。
私の場合「自分との一体感」をどれだけ感じとり、それを維持することが出来るかは重要な位置づけとなっています。

これがあるとないとでは、活動中の充足感が違うため、日々の満足度にも影響してきます。
心穏やかに、そして軽やかに過ごすためにも私は今日も自分との一体感を目指して練習を続けます。

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立ち止まっても倒れても、また人は歩き出す  岩見より