2018年元旦に得られた3つの方針は朝日に向かって荒川河川敷を走った時に拾い上げたものでした

朝日が昇る

あけましておめでとうございます。

2018年1月1日、朝の6時。東京都北区を流れる荒川の河川敷を自転車で走りました。

当初は適当に流すつもりだったのですが、眼に映る景色を自分の中に反映させていったところ、今年の方針といいますか「これは心がけておきたいな」と思うことが3つほど思い浮かびました。

・自分が心惹かれることを選ぼう
・人から一歩ひいて行動し、ときに応じて人と関わる
・美しいものを美しいと感じとる

なにげなく走った日常の一風景からでも、自分の心の中から願いや望みが見つかる。
そんないきさつを聞いてもらえたらと思います。

目次

自分が心惹かれることを選ぼう

この方針は、河川敷について「さて、上流側に走るか、下流側に行くか」と迷った時に見つけたものです。

上流側に目を向ければ、
まだ薄暗い空が広がっていました。

下流側に顔を向ければ、
空が赤く朝日が登ろうという気配が感じられました。
河川敷

「朝日が昇るところを見てみたいな。」
そんな気持ちがよぎりました。

下流に行った方が面白そうだ。
昇る陽の光は、どんな温度を私に感じさせてくれるのだろう?

そんな想像に私は心惹かれました。

私は下流側に自転車のハンドルを切りました。
この、ほんの少しの決断。

自分がどちらがいいかと思ったときに「自分が心惹かれるほうを選ぶ」ということを決断し、実行しました。

それは、とても純粋で、余計な思考のノイズが乗らない、「良い感じ」のことでした。

「この自転車で家に帰るまでは、自分の意思と気持ちを拾い上げながら走ろう」
そう思いながら、走り始めました。

人から一歩ひいて行動し、ときに応じて人と関わる

この方針は、河川敷や橋の上に並んでいる人たちを見たときに感じたことを落とし込んだ方針です。

並んでいる人たちは、一様に同じ方向に顔と目を向けていました。
私がこれから向かおうとしている方向。

朝日が登ろうとしている方向です。
朝日を待つ人たち

その人たちは、家族、友人達、恋人、ペットづれの散歩者、いろいろな人たちがいました。
そしてその人達の殆どが複数人(グループ)で行動して居ました。

徹夜明けなのか、慣れない早起きのためか若干気だるさを残しながらも、皆楽しげに笑いながら談笑していました。

そんな様子を脇に見ながら「もし自分があの中にいたとしたら」と想像しました。

「・・・ないな」
どうにも集団の中に自分がいるという想像がイメージに浮かびませんでした。

・もともと、ひとりでコツコツとやっていくのが好きな自分がいて
・過剰な人との接触ですぐに消耗してしまう自分がいて

そして
・一定の、ニッチな状況下においてのみ「人の輪の中で誰にもマネできないことで真価を発揮する」自分もいる
それぞれの自分がいることを、私はこれまでの経験から強く実感し把握しました。

自分の良い状況を保つために、まずは人から一歩引いたところに立ち、エネルギーロスを抑えながら思索、考察、試行に集中することを主体とする。
そしてアウトプットを通して周囲の人たちに良き影響を繋げ、還元していく。

自己の確立と人との共存共栄(共創関係)を可能にするわたしなりのスタンスが「人から一歩ひいて行動し、時に応じて人と関わる」です。

美しいものを美しいと感じとる

自分の感性を拾い上げて認めること。
これは、昇ってきた太陽を見た時に
照らされた景色を見た時に感じたことです。

思惑を超えた太陽の光の美しさ

「目の前の橋を通り抜けたら、朝日が見えるかもしれない」そう思いながら手前の道のカーブを曲がった時に目を刺すような日の光が飛び込んできました。
朝日に気づいた瞬間

朝日は、すでに昇っていたのです。
私の思惑など知らんとばかりに堂々と、オレンジ色の光を放ちながら、すでに太陽はそこにありました。

その光は美しくて、私は目を細めながらしばらくそれを見ていました。
朝日が昇る

照らし出される風景の美しさ

朝日をしばらく眺めたのち、私は来た道を戻りました。

振り返った時に目に入ったのは、朝日に照らされた風景でした。
つい先ほどまで通り過ぎていたはずの風景は日の光によって細部がはっきりと見えていました。

そのまま上流側に走り、赤羽の岩淵水門まで行きました。
他の景色と同様に、水門も眩しい朝日に照らし出されていました。
照らされた水門

ただのコンクリートと鉄の塊に見えるかも知れません。
いつも通っている風景の一部と言われればそうだと思います。

でも誰がどう言おうと
私はその風景が「美しい」と感じました。

わたしが直前までどんな思惑を抱いていたかは関係なく
わたし以外の人がどう感じていたかなどもどうでもよく

わたしの、今感じている感性が「美しい」と思ったのであれば、それはただそうであるのだろうと、受け止める。
ただそれだけのことをようやく自分に許可が出せたのだと思います。

朝日に向かって走って得たもの

こうして、元旦に走っていたら3つの方針を得ることができました。

これからの1年で3つの方針は変更することになるかも知れません。
しかしその変更は自分の心の中の状態が更新された結果として素直に受け取ればいい事だと思います。

いつもと同じ日常の、些細な違いがある風景。
そんなことでも自分の心の中に落とし込む事で願いや望みが湧き上がってくる。
そんな風に思えた一幕でした。

・自分が心惹かれることを選ぼう
・人から一歩ひいて行動し、ときに応じて人と関わる
・美しいものを美しいと感じとる

まずはこの3つを方針として、心がけて生活していこう。
そんなふうに思います。